こちらは、逆柱の写真館となります。
小さな村の、ある一族の相続争いに巻き込まれていく若い夫婦と、
それを回顧する老夫婦の、血と愛の物語です。
九、逆柱 ―追憶の呪い―
ある一族が姿を消した。
聞けば風吹く春の新月の晩であったらしい。
以来、田畑は荒れに荒れ家畜は骨だけを残し腐臭すらせぬ。
家々は形ばかりの骸となり、漂う埃がもの哀しい。
――村は死んでいた。
しかしその中に一つ、生きているかと見紛う柱。
逆さに立てられたその柱は、朽ちもせず蟲も喰わず、この荒廃に異彩を放つ――。
そうして私は気付いてしまった。
この村に纏わりつく陰鬱は、この柱に寄りかかる酷く憔悴した男と、彼のかけた呪いに依って初めて、陰鬱たらしめるのだと。
初めから――、すべてが逆さまだったのだ。
これは昭和十九年初春に起きた、ある男の追憶の物語である。
「逆柱」は、妖怪という姿形をもっているというよりも、
「まじない」の要素が強い「モノ」かなと思います。
その名の通り「逆さに建てられた柱」のことで、
建物の建築に使われた柱が、木の正しい上下の向きではなかった場合を指しています。主に大黒柱や、建物の中心・象徴になるような柱です。
誤ってそのように柱を立ててしまうと、その家には災厄が訪れる…と、信じられていました。
あえて意図的に建てたのであれば、その家を呪う(のろう)力を持つともいわれています。
しかしそれとはまったく別の意味も持っており、
完成した建物は、後は衰退していくのみであり、
そのためにわざと柱を逆に建てて未完成の状態にし、
未来永劫の繁栄を願う呪い(まじない)の要素も持っています。
日光東照宮の陽明門が代表的で、まさにその意図をもって今も建てられていたりしますね。
二つの「呪い」の意味を併せ持つのが、
「逆柱」という妖怪なのです。
今回は、「相続争い」と「家族」の物語。
老夫婦の追憶形式で描かれていくので、「今」と「過去」が入り交じり行き来していくという構図でした。
そのため、ラストシーンの今と過去の対比は、私としては最高のシーンで美しかったなぁと思っています。
裏話的なものも含めますと、素敵な役者さんが集まり始めた時点で「この皆が家族だったら最高だね」という望月の着想から始まり、誰と誰が夫婦で~みたいな話で劇団会議が盛り上がった…なんていう経緯があったりもします。
血の繋がりが大事なのか、世間体が大事なのか、
そう育てられたことが大事なのか。
親の、そのまた親からの、脈々と受け継がれる「家」という概念に縛られ翻弄されていく人々のお話でした。
そして、そこに付随して、
閉鎖的な世界において、その人たちにとっての常識と、暴力の支配における集団心理というものが、いかに効果的で心も体も身動きをとれなくするものなのか…というような面も描いていたように思います。
家がメインなので、久々の日本家屋舞台の一幕ものだったようにも思います。
鬼としては初めての2面舞台となり、そういった面での難しさと、新しい発見や視点もできました。
大盛況により、初めての追加公演も決定し、自画自賛な余談ですが、鬼の居ぬ間にとしてさらに飛躍できた公演だったと、皆様に感謝しております。
ここからは、本編の写真です。
※今回初めて、カメラマンさんに撮影して頂きました!
クレジットは舞台写真の最後に記載してあります。最後までどうぞお付き合いくださいませ。
そして今回、
撮影して下さった石澤さんから
こんな素敵な画像を頂いたので、
こちらもご紹介。
ポスターとして
使わせて頂きたい素敵さです。
世界観が抜群。
舞台写真:石澤知絵子
文:津金由紀
では最後に、集合写真を。
おなじみの、まじめバージョンとおふざけバージョンを、
出演陣のみと、スタッフ様方との集合とで、お送りします。
最後までご覧いただきありがとうございました。
少しでも「このお話の中身が気になる!」と思って下さった方は、
是非是非、販売頁をチェックしてみてくださいませ。
DVDと脚本、両方ご用意ございます。
⇒⇒販売頁